読書で小説を読むのが時間の無駄と思う理由。実用書に劣るわけ。

一人語り

どうもフロッキーです。

僕は読書が大好きなのですが、小説は全くといっていいほど読みません。

ただ友達やネットを調べてみると、小説を読む=読書という人が結構いるのが分かりました。

今回はそんな人もいる中で、なぜ僕が小説を読まないのかを書きます。

スポンサードリンク

まず読書に何を求めているか

この問題を考えるにあたって、何のために本読んでるの?という問いに答える必要があります。

おそらく小説好きと実用書好きはこの点が全然違うと思います。

実用書が好きな僕の場合

ずばり僕は知識を習得し、知的好奇心を満たすために本を読んでいます。

実用書を読んでいると、知らない知識と遭遇します。

はじめて読む人のローマ史1200年 (祥伝社新書)

例えばローマ帝国の歴史。最初は世界史が面白かったので、なんとなく読んでみると

  • 古代ローマ人のインフラがいかに先進的であったか
  • カエサルがどういう状況に置かれていて、どんな心境で「賽は投げられた」と言ったのか

などというようなことがどんどん分かってきます。

この知識で自分の頭の中に、ローマ帝国の歴史のイメージを作り出すのが面白いわけです。

このような自分知らなかった、とても魅力的な世界が広がるのが非常に楽しいわけです。

一度この史実の面白さを知ってしまうと

  • じゃあ現代の日本のインフラはどうなの?
  • 古代イタリアに思想的影響を与えてたギリシアってどんな感じだったの?

というように無限に知りたいことが、次々と増えてます。

言ってみれば実用書は、知識を習得し、頭に情報空間を作り出すことを楽しむ

スポンサードリンク

とも言えます。

小説の場合

一方小説はどうでしょうか。

小説が読みたい人というのは、フィクション、ノンフィクションに限らずストーリーを楽しみたいのだと思います。

f:id:azuan65:20180308130800p:plain

確かにストーリーの登場人物になった気持ちで、自分の頭の中にイメージを作りながら小説を読むのは楽しいです。

「それなら頭に情報空間を作ってるんだから実用書と同じでは?」

たしかに似てる部分はありますが、小説と実用書では信ぴょう性が違いますし

何より情報空間の大きさが全然違います。

小説の場合は、ほとんど1物語で情報空間を作る作業は終わってしまいますが、

実用書であれば、先ほどみたいに

ローマ帝国→ギリシアの歴史→カエサル→カエサルとナポレオンの軍事戦略の違い…

というように小説に比べて

はるかに大きな情報空間を、しかもほぼ無限に作り出すことができます。

まとめ 現実は小説よりも奇なり

上の格言ではないですが、実用書で現実世界を学ぶ事がすでに楽しいのに

わざわざ作者の創作物を読もうとはあまり思わないわけです。

小説を全面的に否定するわけではありませんが、

実用書の魅力を知ってしまうと、小説に移行できなくなってしまいました。

スポンサードリンク

8 件のコメント

  • 目から鱗です、『小説が読みたい人というのは、フィクション、ノンフィクションに限らずストーリーを楽しみたいのだと思います。』長年の私の疑問が解消しました。ありがとうございます。

    • ビジネス書や自己啓発も含めた総称して実用書としている書店もあり、僕はその定義を採用されてもらっています。

      本来は日常生活(庭仕事、裁縫など)に関した本なのでしょうが。

  • 何をもって有益かを定義していないのでよく分かりませんでした。
    知的好奇心を満たすことが有益なのに物語を読んで楽しむことが無駄な理由が分かりません。

    • 確かに説明不足ですね。フィクションってファンタジーなのでいくら読んでも実際の知識のインプットは貯まりませんが、実用書は実際のことなので関連した知識が溜まって、色々繋がっておもしろいとという趣旨です。

  • 僕もしばらくそう思って過ごしていましたが、実際には小説だからこそ触れられる心情の機微というのがあります。よく小説を読むと人として豊かになると言う人がいます。別段、何かスキルが向上して専門的な仕事ができるようになるわけではありません。けれども、小説は、言うなれば人の心に触れるための思考実験や具体例の蓄積なのです。そういう意味で言えば、知的好奇心も十分刺激されるでしょうし、日常生活での人との関わりに転用することもできるようになります。何より、想像力がつくと思うのです。
    断りを入れると、私は小説を読みません。重要性を知ってもなお、私にとって面白いと思えるものが非常に限られるからです。

    • そうですね〜。まあ時間があったら読もうかなというレベルなんですよね。まあ確かに小説ならではの日常生活の解釈はありますね!

  • 完全同意です。
    私もかつても色んな小説を呼んでおりましたが、フロッキーさん同様、実用書の方が圧倒的に得るものが大きい感じ、その瞬間から小説はあまり読まなくなりました。
    小説を全否定するつもりはございませんが、”小説は、描写を細かくしたドラマ・映画程度” としか思えなくなりました。
    勿論、中には面白い小説も当然あります。
    ただ、それは(私の場合ですが)ドキュメンタリー風のものであったり、史実を基にしたノンフィクション風であったり、知らない世界をベースにしたものであり、新たな知識を得られるというものでした。
    しかし、”描写がメインで、ストーリー性は二の次。あるいは圧倒的に物語が進まない” ような小説に出会ってしまうと、本当に腹立たしく感じます。時間を返せと言いたくなります。更には、作者の趣味に何故付き合わなければならないのだろうとまで思います。
    ハッキリと表紙に「純文学」などと書いてくれていればいいのですが、そうでもない時がありますので、このような事態となってしまいます。
    余談ですが、村上春樹氏の小説も、かつて頑張って7~8冊位読みましたが、もう二度と読みたくありません。
    最後に、これを言ったら身も蓋も無いかもですが、「(描写重視の)小説は、文学好きの人のみが読めばいい」「語彙力は別に小説でなくても、実用書でも十分得られる」です。
    時間は有限です。その中で知識を増やしたいと考えている方は、小説はせいぜい1~2年に一冊程度に留めておいた方がいいのではないのでしょうか。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)