2回肺気胸のなって入院して手術した話。初期症状、血気胸、胸腔ドレナージのつらさなどまとめ。

一人語り

どうもフロッキーです。

みなさんは死にかけたことがありますか?僕はあります!

それがこの肺気胸にかかって,手術した時の話です。

 

今回は

再発した肺気胸の症状、入院から退院までの流れ

を書きたいと思います。

 

肺気胸になって死にかけた話

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最初は部活で発症,次は自然に再発

僕は2度、肺気胸にかかりました。

1度目は高校3年生の時に,ハンドボールの部活中に胸を強打したのが原因でした。

胸を強打した後,なにか調子が悪くて病院に行くと気胸と診断されました。

2,3日入院しましたが、特に何もなく自然治癒で退院しました。

 

それから2年後の大学生の時に,突然肺気胸が再発。

今度は息をするのも苦しいし,動くのもつらい状態でした。

肺というか背中の痛みがあり,倦怠感がすごかったです。寝れば治るかなと思いましたが,日に日にひどくなりました。

病院に行くと肺の片方の大きさが半分以下に・・・

緊急入院がその日にすぐ決まりました。

1回目の手術 胸腔ドレナージで大量出血

入院中の手術は2回ありました。

1回目は簡易的なもので部分麻酔をして,医師の先生がチューブを素手でごつごつと脇腹から挿入するものでした。

そもそも気胸とは,空気が肺の外に漏れてしまう病気です。

本来ないはずの空気が肺から漏れて,肺が圧迫されることによって呼吸困難になったりします。

その漏れてる空気をチューブで抜こうという話です。この手法を「胸腔ドレナージ」といいます。

この手術が終わった後はこのような状態になります↓

普通であれば,多少の出血が出るのでその血を受ける装置です。

 

しかし僕の場合はこの手術後,出血が異常でした。具体的にいうと2リットル出血しました。

そんなに血液あるんだという驚きがありました汗

血が抜けるごとにどんどん顔色は悪くなり,調子も悪くなりました。

胸腔内の傷口から出血しているとのことでした。この状態を血気胸というそうです。

動いた瞬間,意識が飛びそうになる

ここでリアルに生死をさまよいました。

「レントゲンを撮るので,車いすに移動してください!」

とナースに言われましたが,血が抜けていて動ける状態ではありません。

動けませんとごねましたが,ナースの人がレントゲン,レントゲンとうるさいので,しょうがなく移動。

そして車椅子に座った瞬間,気持ち悪いような立ち眩みのような症状が出ました。

しかもその立ち眩みが,刻々とひどくなりました。ついには意識を失う直前まで症状は悪化。

 

よくゲームで打たれると,心臓の鼓動の音と世界が黒くぼやける演出ありますよね。

まさしくあの状態になりました!こんな感じで画面がにじみますよね。これのひどい版になりました。

「フロッキーさん!しっかりしてください」

というナースさんたちの声が遠くから聞こえる感じでした。(最初は1人でしたが,気づくと複数人に増えてました)

肩をたたかれていましたが,感覚が全くありません。

視界がちいさな1点だけとなって,遠くに病室があるようでした。

 

死ぬ状態って多分これに近いのだな,と勝手に納得したのを覚えています。

ちょっと蛇足ですが,だから死ぬ瞬間を恐れる必要はないと思います。

意識が遠のいてる瞬間は痛くもかゆくもなく,何も感じないからです。

まあそれは臨死体験に近い話になってしまうので,別の機会に・・・。

 

そうこうして生死をさまよっていると,やっと回復してきました。

視界はもとに戻りましたが,気持ち悪くて動けません。

結局ベットに戻され,寝た状態でコンパクトな機械でレントゲンを撮りました。

2回目の手術 肺気胸の原因の「ブラ」を摘出

こんな状態の中,血は抜け続けていました。

これは生死に関わるということで,緊急手術になりました。これが2回目です。

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気胸になっている側の,わきの下に三か所の小さな穴をあけ,気胸の原因となる風船みたいなものを除去するのが目的です。これはブラといいます。

ブラとは過剰に空気がたまった風船みたいなもので,これが破裂して気胸になるそうです。

このブラを取れば,とりあえず気胸は治るようです。

 

手術自体は全身麻酔がかけられるので一瞬で終わります。全く痛くないです。

「今から麻酔入れますね~。多分5分ぐらいで効いてくると・・・(意識が飛ぶ)」

「フロッキーさん!手術終わりましたよ」

とまさに一瞬でした。

術後の生き地獄へようこそ

問題は術後でした。

具体的には膀胱まで挿入されているチューブの尿道の痛みと、傷口の痛み、さらに貧血によるめまいとの闘いでした。

もはや病室の電気が目に痛かったです。タオルで隠していました。相当体が弱っていたのでしょうね。

 

親は切除したブラを見たそうですが

「焼き肉のタンみたいだった」

と,どこまで食いしん坊なのか,とあきれるコメントを残しています。

 

痛くて全く動けませんでした。寝返りすら打てないレベル。たとえて言うなら日本刀で背中を切られたようでした。

よく映画とかで切られても動いてる人いますけど,あれ無理です。

脇に数ミリの傷口を開けるだけであんなにちゅ痛いのに,背中切られたら動けませんよ・・・

 

さらに手術後の夜は,38.6度に襲われました。

インフルだろうが風邪だろうが,ここまでになったことはありませんでした。

めまいと吐き気はするし,傷口も痛むし,尿道は痛いし,生き地獄とはこのことだなと思いました。

肛門から解熱剤をナースの人に入れてもらったら熱はよくなりました。

 

それからは何日か覚えてませんが,おそらく2,3日後には尿道の管とチューブの手術の時に取り付けた血を入れる機械を取ってもらいました。

こんな感じの機械です↓

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ただなかなか体調がすぐれず,6日目になるまでは病院食を少し食べては吐いて寝るという生活を送りました。

 

そもそもプレートに食事が載っているのですが,寝たきり状態から動けないんですよね。

下の写真のベットに寝てる状態で,ご飯を食べてる感じに近いです。

だからすごく不格好な感じで食べてました。プレートの中身が見えないので,適当にスプーンですくって食べてました。(ナースの人呼んだら食べさせてくれたのかな・・・)

普段できてることができないと,健康のありがたみが分かります。

身体の不自由な方って毎日この苦労を味わってるのか,と絶望しました。

ごはんが食べれるようになってからは

おそらく10日間ぐらい入院していたのではないでしょうか?

ごはんが食べられるようになってからは,病院から退院したくてしょうがなかったです。

なんというか生気を奪われるんですよね。みんなさっきの機械はつけてるし,元気はないしと。

ナースの人に具合を聞かれたら,「もう元気です!」とからげんきで答えていました。

冷汗がすごかったです(笑)

 

そして「白い巨塔」の医師たちが行列してくるシーンあるじゃないですか。

これリアルなんですよ。

こんな感じで何十人もぞろぞろ病室に入ってきて,症状を聞かれるのは個人的には好きではありませんでした。

なんかどことなく偉そうな医師が威圧的なんですよね。僕は権力側が好きではないのですよ。

この行事が毎日のようにあって早く退院したかったのもあります。

 

そして退院の日は,確か保険適用で2万ぐらい払ったと思います。安いと思った記憶があります。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

もちろん二度となりたくないですが,いいこともありました。

それは「いつか死ぬ」ということを肌感覚で体験できたことです。

これが今の何かに熱中しようという源を作っているような気がします。

まあ肺気胸にかかる前から,熱中するのは好きでしたが,なって死にかけてからは拍車がかかりました。

 

参考にしてみてください!

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