飽き性フロッキーの雑記ブログ

好きなことを熱量が冷めないうちに文字にしている雑記ブログです。

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誕生日が面倒だ。返報性を求める行為に見えてしまう今日の頃。

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どうもフロッキーです。


実は現在(6月5日)が誕生日。


偏屈かもしれないが、誕生日を嬉しいと思ったことがない。


理由はいくつかあるけど、まず「年を取りたくない!」という理由ではない。


自分の年に全く興味がないし、老いなども正直どうでもいい。

ケーキを食べるというイベント

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ではなんでうれしくないのかというと、なんだか過去を引きずっている感じがして嫌なのだ。


今日が誕生日だからと言って、何が変わるわけじゃない。


それをケーキを食べて祝うということになんだか違和感があってしょうがなかった。


別にケーキが食べたいときに食べれば良いだけの話だし、祝うなら過去の日にちではなく


未来に向けた目標が達成された時に祝ってほしい。


こういう考えを持っている僕は

「ケーキは肌が荒れるし、いつも通りの食事がしたい」


と母親に申し立てたことがあった。

(うちのルールとして、誕生日は特別な日だから夕食はピザ&ケーキという高カロリーなことが多かった。)

すると母は

「誕生日を祝うという口実で、家族が集まるのが目的なんだよ。そうじゃないと全員がそろわないじゃない?」


という回答だった。


一理あるが、イベントがないと集まることがない家族間の冷え切った感がなんだが重かった。

返報性を求めた行為

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

そして僕が一番嫌なのは、返報性の原理を狙った形だけの「おめでとう」という言葉だった。


どういうことかというと、自分の誕生日を祝ってもらうために


あらかじめ友達の誕生日を把握し、祝うという先手を打つ行為のことだ。


君の誕生日を祝ったしプレゼントも用意したんだから俺の時もよろしくね、というように。


人間何かをされたら返したくなるという原則がある。


社会的集団生活で生き延びるために、遺伝子に強く刻み込まれている特性だ。


高校のクラスのチャラいグループが毎回教室でどんちゃん騒ぎして、ケーキをパイ投げのように顔にぶつけられて


喜んでいる画像をツイッター上で見るのが嫌で仕方がなかった。


まずケーキがもったいない。その地面についてしまったケーキは誰が食べるんだと。


結局は自分のためにやっている感が嫌でしょうがなかった。


このように誕生日が嫌な理由をいろいろと掘り下げていくと、家族との関係、社会における人間関係というような


社会学的な感じになるのに驚いている。